沿革概要

三重県子ども会連合会は、昭和39年4月に全国子ども会連合会の結成と併せ「三重県子ども会育成者連絡協議会」として発足し(昭和57年に「三重県子ども会連合会」に名称変更)、結成以来35年の歴史を重ねている県下最大の青少年団体です。

結成の背景

 戦後の荒廃した生活の中で、必死に生きようとする大人たち、戦災を受けた市街地などでは住む家すら急造バラック、加えて食料難というギリギリ環境におかれていた。でも、その大人たちに一つの希望があった。それは「戦中終戦後の苦しみを、次代を背負わなければならない子どもたちに味あわせたくない。食うには困っても子どもだけは……。」という動物本能に近い願い。そうした風潮の中で生まれてきたのが、狭義の意味での福祉に根ざす子ども集団……児童愛護会を頂点とする子ども会活動であった。それが、戦後20年、ようやくにして高度経済成長のきざしが見えるまでに復興した昭和30年代後半、地域で子ども集団を指導する有志間で「お守りだけしていていいのだろうか。子ども自身を弱くしてしまうのではないだろうか。」という疑問が生まれた。
 そして「子ども集団は、子ども自身のものであり、子ども自らが考え、活動する場でなくては……」という考え方……社会教育の分野に根ざす子ども会活動へ設立趣旨の願いが高まった。こうして全国少年団体指導者連絡協議会が発足したのは昭和38年11月、続いて翌39年4月に全国子ども会連合会(任意団体)が結成された。この結成には、三重県内では指導者連絡協議会の会員として参画していた人たち数名が参画、全子連結成と併せて三重県子連が発足した。

揺籃期(結成後十年間)

 諸先輩たちが県下各地の同士に呼びかけ主要市が中心となって昭和39年出発した。前半は組織拡大をめざす意欲が盛ん……というより、中核となった人たちの「子どものために望ましい集団、活動を」という熱意が活動の中に充満しており、考え方によっては組織が整備、近代化への道を歩み出した現時点より、活動が活発だったともいえるが、組織形態としての活動がともなわず、記録が正確に保存されていないため、その活動の全貌が明らかだけでなく、記述することができないのは残念。だが、一方において、熱意のあまりの意見衝突もあり、有力会員であった伊勢市子連が脱退するなどの一幕もあり、県下全域組織化をめざす中での大きな渦根となったことは20年の流れを通じての悲しい出来事でもあった。しかしながら後半においては45年、第2回東海北陸地域子ども会育成研究会議が津市の御殿場荘で開かれるにおよび、諸活動が定着化、46年には第1回県子ども会大会が開催されるなど、発足初期における基盤整備も進み、会員も10市31町村に拡大されている。

躍動期(51年~60年)

 50年4月非専従であるが事務局長制度を導入、事務局強化の第一歩を踏み出し、56年度には半専従ではあるが事務局次長制を設置、強化を図る。
一方、51年8月に津市で起きた子ども会活動における事故死に対して、指導者が刑事訴追を受けるという事件が発生、全子連の応援を受けて無罪を求める裁判支援活動を展開、58年に名古屋高裁における第二審で初期の目的を達成した。このことは被害者はもとより、子ども会関係者にとって不幸な出来事であったが、活動中における安全確保の啓発に大きな警鐘となるほか、野外活動などに一時的制約現象がみられたが、地域子ども会に対する一般社会の認識を深める反面もあった。
更に事務局体制の不備から遅延されていた全子連安全会への加入意欲が高まり、53年、年度途中であったが加入を決定、三重県子ども会安全会を発足させ、子ども会員39000余人、育成会員3000人で出発。又、子ども会活動の振興を図るため、57年には三重県子連と会員(市町村子連)の育成者、指導者の研修に関する役割分担を明確にし、中間連合組織(校区の地区)における研修促進を図ってきた。一方、全子連、東海北陸子連の進める研修への派遣参加などを積極的に進めてきた。こうした一連の活動推進を経て、結成20年には11市36町村を会員とし、子ども会数2,371人、指導者34,516人、子ども会員数113,889人の組織に拡大した。

活動期(61年~平成7年)

 県下小学生の71%の加入を得て、各市町村においても活発な活動が展開されるようになってきたが社会の多様化により組織の拡大にはつながっていかない。
昭和60年から徐々に少子化の時代を迎え会員の自然減が目立ち始め62年には、5,000名の減少をみるようになり、その後は毎年23,000名の減となる。そんな中、平成3年には、賢島を中心に全国子ども会中央会議を開催、全国の指導者と共に研究協議の場を持つことができ関係者の意気を大いにあげた。
又、東海北陸地区関係では、昭和60年・平成2年にジュニアリーダー大会を、そして昭和62年鈴鹿市で、平成6年には伊勢市で育成研究協議会を開催している。一方、昭和62年からは、県の育成事業として小学5、6年生(300名前後)を対象に4泊5日の「夏休み洋上教室」を企画、成人指導者10余名、シニア、ジュニアリーダー40余名の協力を得て、豊かな創造性を培い仲間同士が助け合い大いなる体験学習を行なっている。
そして、この事業は、各市町村子連にも波及して行なわれ、現在では2000名以上の参加を得て意義ある活動になっている。また、育成者・指導者の研修も各市町村でも行なわれているが、県子連においても一本化の研究協議、あるいは、ブロック研修を繰り返しながら現在では地域性を活かした研修を行なっていこうとしている。平成5年度から行なっている「ふるさと学習推進事業」は、平成4年度全子連助成の「ふるさと学習推進事業」を受けたことをきっかけにして以後事業の推進をはかり、年間三ヶ市町村において地域をより深く知る学習体験を行なっている。子どもを取り巻く学校環境も変わり、平成7年度より学校週5日制(隔週)となり、より深い地域での子ども会の活動活性化を推進している。平成7年度現在、子ども会員88,621名、ジュニア会員440名、成人会員25,901名、単位数2,793団体、市町村加入数11市36町村となっている。     
                             

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