会長あいさつ

再任あいさつ

 私は、中学2年生時に子ども会ジュニア・リーダークラブを自ら発足させ、高校3年生まで様々な子ども会活動を実施しました。
 子ども会主催ではありませんでしたが、当時私が居た市の祭りで、我々ジュニア・リーダーと高校生サークルを中心に凧揚げコンテストに参加する事になりました。
 皆で話し合った結果、大会史上最大の凧を作ることに決め、当時の役所担当職員の方にお願いをして、使用していなかった体育館を1週間借り上げてもらい、作成に着手しました。

 ジュニア・リーダークラブのメンバー、20名くらいの様々な高校生のメンバーを中心に、子ども会育成者や役所職員といった大人を含む多くのメンバーが、毎日17時頃に集まり、1日3時間くらいずつ、5日間かけて大会史上最大の凧を完成させました。

 大会前日の土曜日夕方ごろ、いよいよ凧を会場に運ぼうとした時の事、役所の方が「あっ!」と、小さく唸りました。なんと、大会史上最大の凧を、体育館から出せない事に気づいたのです。
 私は、高校生側の責任者でもあったので、思わず、「大人も居るのになぜこんな初歩的な事に気づかないんですか」と大人への批判を口にしたのを覚えています。5名程度の大人が居合わせていましたが、全員無言だった事も覚えています。

 そこから慌てて解体・搬出・現地組み立てに計画を変え、夜遅くまで解体・搬出・運搬作業をしました。
 大会当日である翌日の日曜日、早朝より河川敷で組み立てを再開し、何とか凧のような形には復元し、いよいよ私たちの凧が大空を舞う順番が来ました。
大会史上最大の凧を複数名が走って引っ張り、凧から手を離した数秒後、『バキバキバキ』と、おそらく大会史上最大の音を立てながらまっぷたつになり、5日間の苦労が一瞬にして、大会史上最大の粗大ごみに変わりました。そして審査対象外となったのです。

 大会史上最大の凧を作ろうなどと意気込んでいた私たち。
 相当の本数の竹や諸資材を地域の協力を得て集めた育成者のドヤ顔。
 私が放った「大人がこの様な初歩的な事に気づかないのか」、という心無い一言。
 その場に居合わせた大人たちの絶句と表情。
 何とか現地で補強しながら組み上げが完了した時の一応の私たちの達成感。
 バキバキと凧がまっぷたつになった時に会場で笑っていた奴の顔。
 審査対象外となった時の、始めから携わってくれた役所職員の申し訳なさそうな顔。

 この一連の出来事は、大人は何でも知っているはずとか、大人は常に正しいはずという、当時高校生だった私たちの誤った先入観を、企画構想から、大会当日まで実に4ヶ月くらいを費やし教えてくれた素晴らしい気づきの場でした。全ての事象が今の私の形成の一部です。

 大人は必ずしも正しい訳ではありません。子どもができて親という立場になれば正しくなる、そんな訳はありません。子ども会の育成者もまた必ず正しいはずもなく、子ども会活動などを通じて様々なことに気づかされ、子どもたちと共に成長して行っているのだと思います。
 子ども会の育成者として活動している私たちは、正しい子ども会の育成に取り組めているでしょうか。行事への参加者数を気にするあまり、いわゆる子どもたちが喜ぶためだけの行事を企画していないでしょうか。
 私は、規模を問わず全国各地で行われる子ども会活動が、子どもたちはもとより育成者や子ども会に関連するすべての人の気づきの場となる事を期待し、それこそが子どもたちの真の成長と真の幸福につながり、また育成者にとっても真の成長と真の幸福につながる正しい子ども会活動だと確信しています

 令和4年10月18日に発足した、「子どもの体験活動による成長・子育てを支援・推進する議員連盟(通称:子ども会議連)」(会長:遠藤利明衆議院議員)、現在139名の国会議員の先生にご入会いただいています。
 その力強い支援の下、令和5年12月7日には、文部科学大臣 盛山正仁様宛の、全子連からの要望書を、遠藤利明会長立会いのもと、手交させていただきました。

 令和5年度中に開催した子ども会政策委員会においては、文部科学省・こども家庭庁との協議にとどまらず、子ども会は地域の活性化に寄与するという観点から総務省、また、子どもを取り巻く安心安全な環境づくりという観点から内閣府、警察庁、国土交通省の皆様にもご参加をいただき、ご指導を賜りました。
 そのうえで、子ども会政策委員会の成果として、令和6年5月10日に要望書を議員連盟の遠藤利明会長に手交させていただきました。

 公益社団法人全国子ども会連合会の会長に再任された事を期にこれらの活動をさらに加速させる所存でございます。引き続き、日本中の子ども達の真の成長と幸福の実現のため関係者皆々様からのご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

令和6年5月
美田 耕一郎

2年目あいさつ

 小学校の夏休み、毎朝ラジオ体操に近所の空き地に通っていました。6時過ぎに起きて歩いてラジオ体操に行く事が苦痛でした。
 私の子ども会では、子ども会長がラジオをもってきて、チューニングを合わせ、第2体操までやって、会長の認印を押してもらえ、その後2Kmのいつものコースを会長が先導しランニングをして解散という、ルーティーンでした。

 私が小学校3年生の時、子ども会の会長に就任したM君は、子ども心に「かっこいい」と感じた会長でした。
 例年の夏と変わらぬラジオ体操が始まろうとしていた早朝、「シャー、シャー」と異音が近づいてきました。M君がローラースケートを履いて、ラジオ体操会場に颯爽と登場したのです。ラジオ体操中もローラースケートを履いたまま体操していたのでとんでもないオリジナル体操になっていました。
 はじめは「変わった事するなぁ」とくらいにしか思っていませんでしたが、カード押印後のランニングが始まろうとしたその時私は気づきました。「そうか!その手があったか!」そうです、ランニングに際してローラースケートがあれば、楽に完走する事ができるのです。
ローラースケートで先導するM君の後ろを走りながら、可笑しくてしょうがなく笑いながら走って、わき腹が痛くなったのを覚えています。
※光GENJIが流行する5年前頃の話です。
 
 ラジオ体操には子どもたちだけではなく、大人も何名か一緒に参加していました。(保護者の立場や子ども会育成者の立場、ただの近所の人から一部の中・高生もいた)大人たちから「M君それはずるいんじゃない」とか小言を言われていましたが、M君は気にも留めず「だめですかね~」程度の対応をしていました。

 数日経過したある朝、いつもは6時20分ごろには来ているM君の姿が見当たりません。大人たちは「もう始まるのにM君寝坊じゃないか」とざわついていました。五分くらい経過した頃、「シャー、シャー」といつもの音が聞こえてきました。
 遅刻して到着したM君に大人たちは「ラジオ体操始まっているぞ」とか「第2も終わるんじゃないか」と、遅刻した事ではなく、ラジオ体操ができない事を怒っていました。
 ニヤニヤしながらM君はみんなが輪になっている真ん中に、ラジオを置き、チューニングすることなく、再生ボタンを押したのです。スピーカからは、「全国のみなさーん!おはようございまーす!」と、日付こそ昨日ですが、カセットテープに録音されたラジオ体操の番組がながれて来たではありませんか。
 文明の利器とM君の発想の融合により『ラジオ体操は6時半ちょうどにラジオが無いと出来ない』と思考していた、大人の先入観を見事に打ち砕いたのです。
 私は、このお兄さんかっこいい!と心底より思いました。昨年度の就任あいさつに記載させていただいた出来事も、この頃のM君への憧れから生まれたエピソードかもしれません。

 子ども会活動は、このような発想や思考、チャレンジ精神のあるリーダーと、それを見守れる育成者の存在があれば、より素晴らしい活動になると私は確信しています。けっしてレクが上手とか、人前で上手にしゃべられる事のみが、リーダーの条件ではありません。
 昔と比べて出来ない理由を探すよりも、いまの環境を理解し、あるモノと環境で子どもたちが自主的に実施する活動こそ、子どもたちにとって意義のある体験活動であり、その活動は辛抱強く見守る事ができる育成者により保障されるのです。

 令和4年10月18日に、「子どもの体験活動による成長・子育てを支援・推進する議員連盟」(会長:遠藤利明衆議院議員)(略称:子ども会議連)が、有志の国会議員により発足されました。今やその会勢は122名となり、私たちの活動に対する大きな支えとなっています。
 その力強い支援の下、令和5年2月1日には、文部科学大臣 永岡桂子様宛の、全子連からの要望書を手交させていただきました。

 令和4年度中には、文部科学省総合教育政策局をはじめ文部科学省の皆様にご指導いただきながら、子ども会政策委員会の発足並びに協議を続けることができました。さらに令和5年度からは、こども家庭庁成育局成育環境課をはじめ、子ども家庭庁の方々にも子ども会政策委員会にご参加いただき、ご指導をいただける環境となりました。
 全子連ではこの一連の流れを好機と捉え、子ども会活動で得られる真の体験活動と、それを通じて行われるリーダーの育成を、子ども会関係者の事のみにするのではなく、地域のリーダーや人財の育成と捉え、子ども会活動を継続していきたいと考えています。
 これからも全子連は、思考停止しない能動的活動を通じて、各地域の子ども会活動の支援をするべく行動してまいりますので、引き続きのご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

令和5年5月
美田 耕一郎

就任あいさつ

 私が単位子ども会の会長に就任したのが、小学校6年生の時でした。第2次ベビーブームに生まれ、大変多くの子どもが居たのを覚えています。全子連の会員も800万人を超えていたようです。

 単位子ども会の会長に就任した4月に、『自分たちで考えて、好きな事やったらいいからね』と育成者の方に言われ、早速好きなことをしました。
6月頃の定例会後、小学1年~6年生約10名を連れて、近隣のラーメン屋さんで、ラーメンをたべました。もちろん会長である私は、会計に対して『このお金は、子ども会の会計から払うように』と、指示を出しました。たまたま、現金で、毎年恒例のキャンプの用具を買うために約1万円の現金を会計が持っていたのです。会計の女の子は、『みた君ダメだと思うよ』と何度も進言しましたが、私は『会長の俺が言うから大丈夫。育成者も好きにしろと言った』などと言い、無理やり支出させました。
 その後、素直な小学1~3年生の会員達は、『子ども会長から昼食をご馳走になった』と、自分らの保護者に伝え、そのお礼の言葉が私の母親に伝わるのにそう時間はかかりませんでした。

 即日、母親に叱られ、数日後の夕方には私を始め、副会長・会計らとともに、私の母親・育成者が公民館に参集しました。
  育成者の方は、謝罪する母親に『いいのよ!美田さん』と言いつつも、私には『キャンプの金はどうするのか』『何をしても良いとは言ったがみんなでラーメン食っていいとは言っていない』などと叱られました。レシートに記載のあった『オオモリ×2』と、『ギョウザ×3』の文字を見て、私の母が『誰が大盛を食べたのか』と、犯人さがしを始めた事を昨日のように思い出します。
私は子どもながら、『なんでもやっていいと言う言葉は、ほんとになんでもやって良いのではない』という大人の事情にきづきました。

 その後、ラーメンを食べた子たちを中心に臨時会合を開き、キャンプ実施の可否と、約6千円補填について議論した結果、廃品回収を実施する事になりました。
 当初ダンボールを回収して、持っていき『引き取る単価を上げてくれないか?』と事情を話し交渉したところ、『協力してやるが、アルミを集めて来い、缶でも鍋でもよい。アルミならいい単価を出してやる』と言われ、その日を境に私たちの子ども会は、学校の行き帰りにアルミ缶拾いは当然で、放課後や土曜の午後・日曜日に必死にアルミを集めました。自分たちの地区だけでは足りず、隣の地区にアルミ回収に出かけ、隣の子ども会の会長に、『人のエリアを荒らすな』と、いわゆる『縄張り争い』も経験しました。
  結果、ラーメン食べる前より会計残高は増え、キャンプについては、地域の方から米・野菜、さらには肉やフルーツなど様々な支援物資もあり(必死にアルミを集めいていたので、事情を聴かれ地域のおおよその人が知っていた)、過去に例を見ないリッチなキャンプを開催できました。

 私をはじめ単子の幹部は、問題に直面しましたがその解決策を思考し、そして解決しました。その結果、『アルミはいい金になる』という事、『地域の人に頼ればいろんな助けをしてくれる』と言う事、『金があるからといって会の金で勝手にラーメンを食べたらダメだ』という事、さらには『世の中には縄張りがある』ことに気づけたのです。
  私たちだけではなく、1~2年後輩の子らも、私たちの姿を見て同じ失敗はしなかったはずです。(当然ラーメンを食べたらだめだと申し送りもしています。)
私はその後、ジュニア・リーダーを経験し、市子連・県子連と子ども会に関わり続け現在に至ります。

 『日本中の子ども達の真の成長と幸福のための子ども会』全国子ども会連合会の理念です。『真の成長』は、言われて久しい『子どもの手による子ども会』の実現を通じて、子どもたちに様々な気づきの場を保障する事により達成できます。育成者として勇気をもって成功も失敗も経験させたいと強く思っています。今までの成功や失敗などすべての積み重ねが現在の私たちを形成しているのです。
 「子ども会」は、生まれて初めて属する自治組織であり、異年齢の環境下で様々な経験ができます。『真の成長』を見守るため、『子どもの手による子ども会』の普及に皆様と伴に取り組んでまいります。
 本会発展のため、微力ながら尽力する所存でございます。皆様の力強いご指導ご鞭撻を頂き、いつの日か真の幸福を一緒に感じられたら幸いでございます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

令和4年7月
美田 耕一郎

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