
私が県の子ども会育成会の役員をしていた頃の話です。県の教育委員会から委託をうけ、3年間にわたり野生を体験する事業を、県内3か所で実施しました。開催場所はいずれも秘境の様な山奥でした。
初年度、食事のメニューからプログラム等も含め完全に準備されたテント生活を3日間実施しました。その時私も含め複数の役員が『全て段取りされた野外での暮しを3日間する事だけが本当に子どもたちの体験につながるのか?』といった疑問があり、2年目3年目に向けて議論が始まりました。議論のプロセスは省きますが、3年目の実施に際して、いくつかのルールを設けました。安全に関する事以外は口も手も出さないことや食事における配給物は一律同数、同量にすること。
さらに、何があっても個人で判断をせず、あくまで子どもたちの体験と自己解決を試みられるプログラムとしました。その結果、3年目のキャンプで起きた事象をいくつか紹介します。私が、初日の夕食作りのキャンプ全体を見渡していた時、明らかにお米が焦げた匂いがしてきました。同時に班についていた青年リーダーが私の所に近づき
青年リーダー:「美田さん、うちの班のはんごう、米がこげています」
美田:「うんわかるよ」
青年リーダー:「子どもらに伝えて火からおろさせてもいいですか?」
美田:「それダメだよ、手も口も出さないのがルールでしょ」
青年リーダー:「マジかあ。ぼくこの班で一緒にごはんなんですよ、、、」
彼の悲痛な叫びを聞きました。
ほぼ同時に、私たちが促すまでもなく、子どもたちもこげの匂いに気づき、「やばいこげた匂いがする」「早く火からおろして」と騒ぎ始め、はんごうを火からおろしました。そして蓋を開けるとなんと、米だけが入っていて、水を入れ忘れていたのです。合計四つが火にかけられていましたが、もう一つのはんごうにも水は入っておらず、あと二つはお米すら入っていない状態でした。班の中で、水を入れなかったことを含め言い合いが始まっていましたが、再度水を入れ炊きなおすも、全く食べられる状態にはなりませんでした。
この班は、本部テントに米の追加供給について交渉に来ましたが、当然配給物は「一律同数、同量」と決めていますので追加は認められませんので、この班はお米無しの夕食となりました。
翌朝の朝食づくりの様子を見てみると、この班は全員が『水いれた?』と確認し合い、水の入れ忘れについては徹底した確認がなされていました。ですが、水を入れ過ぎてお粥ができてしまいました。班長のK君が「朝粥にわざとしたんだ!」と自分たちの行動を後付けで正当化していました。
似たような事象で、水を入れ過ぎた薄い味噌汁の班や、何かを入れ忘れたのか謎の味の班など様々な「失敗」が起こっていました。
しかし、K君の班は、「失敗」を繰り返しながら最終的にどの班よりも立派なお米を炊き、本部にもってきていましたし、味噌汁で失敗した班も、水を少なめに調整しながら同じ「失敗」をすることなく作っていました。
つまり、私たちが指導や、手出し・口出ししなくても子どもたちは気づき自ら修正していく事ができるのです。
私たち育成者にとってたくさんの気づきがあった事業でした。
子ども会活動や行事は、正しく見守れる育成者の存在があれば、より素晴らしい活動になると私は確信しています。
昔と比べて出来ない理由を探すよりも、いまの環境を理解し、あるモノと環境で子どもたちが自主的に実施する活動こそ、子どもたちにとって意義のある体験活動であり、その活動は辛抱強く見守る事ができる育成者により保障されるのです。子どもたちに計画を立てさせることだけが、『子どもの手による子ども会活動』ではないのです。
令和4年10月18日に、「子どもの体験活動による成長・子育てを支援・推進する議員連盟」(会長:遠藤利明衆議院議員)(略称:子ども会議連)が、発足してから、子ども会活動に対する大きな支えとなっています。
その力強い支援の下、令和7年6月3日には、文部科学大臣 あべ 俊子様に遠藤利明会長から、子ども会を取り巻く環境について提言書を手交していただきました。
さらに同日、内閣府特命担当大臣(こども政策 少子化対策 若者活躍 男女共同参画、共生・共助)三原じゅん子様にも同じく提言書を手交していただきました。
さらに、子どもの体験活動推進政策委員会には、文部科学省・こども家庭庁・国土交通省・警察庁・内閣府にまでご参加いただき子ども会を取り巻く政策について一層深い議論がなされています。
全子連ではこの一連の流れを好機と捉え、子ども会活動で得られる真の体験活動と、それを通じて行われるリーダーの育成を、子ども会の事のみにするのではなく、地域のリーダーや人財の育成と捉え、子ども会活動を継続していきたいと考えています。
これからも全子連は、思考停止しない能動的活動を通じて、各地域の子ども会活動の支援をするべく行動してまいりますので、引き続きのご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
令和7年12月
美田 耕一郎



