2年目あいさつ 令和5年5月
小学校の夏休み、毎朝ラジオ体操に近所の空き地に通っていました。6時過ぎに起きて歩いてラジオ体操に行く事が苦痛でした。
私の子ども会では、子ども会長がラジオをもってきて、チューニングを合わせ、第2体操までやって、会長の認印を押してもらえ、その後2Kmのいつものコースを会長が先導しランニングをして解散という、ルーティーンでした。
私が小学校3年生の時、子ども会の会長に就任したM君は、子ども心に「かっこいい」と感じた会長でした。
例年の夏と変わらぬラジオ体操が始まろうとしていた早朝、「シャー、シャー」と異音が近づいてきました。M君がローラースケートを履いて、ラジオ体操会場に颯爽と登場したのです。ラジオ体操中もローラースケートを履いたまま体操していたのでとんでもないオリジナル体操になっていました。
はじめは「変わった事するなぁ」とくらいにしか思っていませんでしたが、カード押印後のランニングが始まろうとしたその時私は気づきました。「そうか!その手があったか!」そうです、ランニングに際してローラースケートがあれば、楽に完走する事ができるのです。
ローラースケートで先導するM君の後ろを走りながら、可笑しくてしょうがなく笑いながら走って、わき腹が痛くなったのを覚えています。
※光GENJIが流行する5年前頃の話です。
ラジオ体操には子どもたちだけではなく、大人も何名か一緒に参加していました。(保護者の立場や子ども会育成者の立場、ただの近所の人から一部の中・高生もいた)大人たちから「M君それはずるいんじゃない」とか小言を言われていましたが、M君は気にも留めず「だめですかね~」程度の対応をしていました。
数日経過したある朝、いつもは6時20分ごろには来ているM君の姿が見当たりません。大人たちは「もう始まるのにM君寝坊じゃないか」とざわついていました。五分くらい経過した頃、「シャー、シャー」といつもの音が聞こえてきました。
遅刻して到着したM君に大人たちは「ラジオ体操始まっているぞ」とか「第2も終わるんじゃないか」と、遅刻した事ではなく、ラジオ体操ができない事を怒っていました。
ニヤニヤしながらM君はみんなが輪になっている真ん中に、ラジオを置き、チューニングすることなく、再生ボタンを押したのです。スピーカからは、「全国のみなさーん!おはようございまーす!」と、日付こそ昨日ですが、カセットテープに録音されたラジオ体操の番組がながれて来たではありませんか。
文明の利器とM君の発想の融合により『ラジオ体操は6時半ちょうどにラジオが無いと出来ない』と思考していた、大人の先入観を見事に打ち砕いたのです。
私は、このお兄さんかっこいい!と心底より思いました。昨年度の就任あいさつに記載させていただいた出来事も、この頃のM君への憧れから生まれたエピソードかもしれません。
子ども会活動は、このような発想や思考、チャレンジ精神のあるリーダーと、それを見守れる育成者の存在があれば、より素晴らしい活動になると私は確信しています。けっしてレクが上手とか、人前で上手にしゃべられる事のみが、リーダーの条件ではありません。
昔と比べて出来ない理由を探すよりも、いまの環境を理解し、あるモノと環境で子どもたちが自主的に実施する活動こそ、子どもたちにとって意義のある体験活動であり、その活動は辛抱強く見守る事ができる育成者により保障されるのです。
令和4年10月18日に、「子どもの体験活動による成長・子育てを支援・推進する議員連盟」(会長:遠藤利明衆議院議員)(略称:子ども会議連)が、有志の国会議員により発足されました。今やその会勢は122名となり、私たちの活動に対する大きな支えとなっています。
その力強い支援の下、令和5年2月1日には、文部科学大臣 永岡桂子様宛の、全子連からの要望書を手交させていただきました。
令和4年度中には、文部科学省総合教育政策局をはじめ文部科学省の皆様にご指導いただきながら、子ども会政策委員会の発足並びに協議を続けることができました。さらに令和5年度からは、こども家庭庁成育局成育環境課をはじめ、子ども家庭庁の方々にも子ども会政策委員会にご参加いただき、ご指導をいただける環境となりました。
全子連ではこの一連の流れを好機と捉え、子ども会活動で得られる真の体験活動と、それを通じて行われるリーダーの育成を、子ども会関係者の事のみにするのではなく、地域のリーダーや人財の育成と捉え、子ども会活動を継続していきたいと考えています。
これからも全子連は、思考停止しない能動的活動を通じて、各地域の子ども会活動の支援をするべく行動してまいりますので、引き続きのご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
美田 耕一郎