再任あいさつ 令和6年5月
私は、中学2年生時に子ども会ジュニア・リーダークラブを自ら発足させ、高校3年生まで様々な子ども会活動を実施しました。
子ども会主催ではありませんでしたが、当時私が居た市の祭りで、我々ジュニア・リーダーと高校生サークルを中心に凧揚げコンテストに参加する事になりました。
皆で話し合った結果、大会史上最大の凧を作ることに決め、当時の役所担当職員の方にお願いをして、使用していなかった体育館を1週間借り上げてもらい、作成に着手しました。
ジュニア・リーダークラブのメンバー、20名くらいの様々な高校生のメンバーを中心に、子ども会育成者や役所職員といった大人を含む多くのメンバーが、毎日17時頃に集まり、1日3時間くらいずつ、5日間かけて大会史上最大の凧を完成させました。
大会前日の土曜日夕方ごろ、いよいよ凧を会場に運ぼうとした時の事、役所の方が「あっ!」と、小さく唸りました。なんと、大会史上最大の凧を、体育館から出せない事に気づいたのです。
私は、高校生側の責任者でもあったので、思わず、「大人も居るのになぜこんな初歩的な事に気づかないんですか」と大人への批判を口にしたのを覚えています。5名程度の大人が居合わせていましたが、全員無言だった事も覚えています。
そこから慌てて解体・搬出・現地組み立てに計画を変え、夜遅くまで解体・搬出・運搬作業をしました。
大会当日である翌日の日曜日、早朝より河川敷で組み立てを再開し、何とか凧のような形には復元し、いよいよ私たちの凧が大空を舞う順番が来ました。
大会史上最大の凧を複数名が走って引っ張り、凧から手を離した数秒後、『バキバキバキ』と、おそらく大会史上最大の音を立てながらまっぷたつになり、5日間の苦労が一瞬にして、大会史上最大の粗大ごみに変わりました。そして審査対象外となったのです。
大会史上最大の凧を作ろうなどと意気込んでいた私たち。
相当の本数の竹や諸資材を地域の協力を得て集めた育成者のドヤ顔。
私が放った「大人がこの様な初歩的な事に気づかないのか」、という心無い一言。
その場に居合わせた大人たちの絶句と表情。
何とか現地で補強しながら組み上げが完了した時の一応の私たちの達成感。
バキバキと凧がまっぷたつになった時に会場で笑っていた奴の顔。
審査対象外となった時の、始めから携わってくれた役所職員の申し訳なさそうな顔。
この一連の出来事は、大人は何でも知っているはずとか、大人は常に正しいはずという、当時高校生だった私たちの誤った先入観を、企画構想から、大会当日まで実に4ヶ月くらいを費やし教えてくれた素晴らしい気づきの場でした。全ての事象が今の私の形成の一部です。
大人は必ずしも正しい訳ではありません。子どもができて親という立場になれば正しくなる、そんな訳はありません。子ども会の育成者もまた必ず正しいはずもなく、子ども会活動などを通じて様々なことに気づかされ、子どもたちと共に成長して行っているのだと思います。
子ども会の育成者として活動している私たちは、正しい子ども会の育成に取り組めているでしょうか。行事への参加者数を気にするあまり、いわゆる子どもたちが喜ぶためだけの行事を企画していないでしょうか。
私は、規模を問わず全国各地で行われる子ども会活動が、子どもたちはもとより育成者や子ども会に関連するすべての人の気づきの場となる事を期待し、それこそが子どもたちの真の成長と真の幸福につながり、また育成者にとっても真の成長と真の幸福につながる正しい子ども会活動だと確信しています
令和4年10月18日に発足した、「子どもの体験活動による成長・子育てを支援・推進する議員連盟(通称:子ども会議連)」(会長:遠藤利明衆議院議員)、現在139名の国会議員の先生にご入会いただいています。
その力強い支援の下、令和5年12月7日には、文部科学大臣 盛山正仁様宛の、全子連からの要望書を、遠藤利明会長立会いのもと、手交させていただきました。
令和5年度中に開催した子ども会政策委員会においては、文部科学省・こども家庭庁との協議にとどまらず、子ども会は地域の活性化に寄与するという観点から総務省、また、子どもを取り巻く安心安全な環境づくりという観点から内閣府、警察庁、国土交通省の皆様にもご参加をいただき、ご指導を賜りました。
そのうえで、子ども会政策委員会の成果として、令和6年5月10日に要望書を議員連盟の遠藤利明会長に手交させていただきました。
公益社団法人全国子ども会連合会の会長に再任された事を期にこれらの活動をさらに加速させる所存でございます。引き続き、日本中の子ども達の真の成長と幸福の実現のため関係者皆々様からのご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
美田 耕一郎